おわりのはじまり

指先はふわふわと浮かぶシャボン玉に当たった。触れて、割れた。音もなく割れてしまった。

 

割れたのは私のせいなのだ。あの時触れなければ割れなかったはずなのに、私が割ってしまったのだ。

本当は私が触れなくても、そのうち割れてしまうことくらいわかっていた。自分のせいにしなければほかの何かのせいにしてしまいそうで怖くなったのだ。だから、私が割ったのだ。私が、この指で。

時間の問題といえばそうかもしれない。いつか来る終わりなら、私がこの手で終わりの瞬間決めてしまうのが正解なのかもしれない。そうおもって、触れた。

 

 

 

さようなら、さようなら。

衣替え。

電車で隣の席に座った女子高校生は半袖を着ていた。もう衣替えの季節だ。私は薄手のワンピースにカーディガンを羽織り今日もいつもと変わらない日々を送る。きっと隣の彼女もいつもの様に学校に行き、いつもの様に授業をうけていたのだろう。その変わらない日々の中で制服が変わる瞬間を私はいつもドキドキしていた。皆同じはずなのに、変な服装をしている訳でもないのにどこか胸のあたりがくすぐったかった。

夏は白が似合う。青が似合う。あんなに暑苦しい毎日なのに冷たい色が似合う。冷凍庫のひんやりとした空気を求めて何度も扉を開けては閉めた日が懐かしい。暑いのは嫌いだ。汗をかくのは嫌だ。に日焼けるのはもっと嫌だ。あんなに嫌いなのに恋しい。やりたいことも山ほどある。長くて一瞬のあの夏を、今年ももう一度。

三日月。

狂おしい程に悲しくてふと見上げた空には、三日月が浮かんでいた。憎たらしいほどにハッキリと。死にたいほどに苦しくなった私は、泣きたいほどに叫びたくなった。

サイズの合わない靴がただ不快で、バイトの制服を詰めたリュックが軽いのに重くて、前だけを見るのも嫌で上を見ても嫌で下を見ても嫌でどこを見ても嫌で、ただ目を閉じたくなった。

泣きたいと思う理由は多分いろんな所にあって、その色んなところが沢山でどうしようもなかった。ひとつが嫌ならきっと捨ててた。少しだからこそ捨てられなかった。きっとこれからも捨てられなくて、気づいた時には壊れてるのだろう。きっと。

よーし。

何もかけなくなった。というより書こうと思わなかった。なんでかって言われるとなんでなんだろうという感じ。多分大層な理由はなくて今は書く時じゃないと思った。それだけ。

書こうと思えば多分何かかけたし頑張ろうと思えば毎日ちゃんと何かを書いて更新できる。でもそんなにしてまで書きたくない。書きたいと思ったことを描きたい時に書くだけ。それだけでじゅうぶんだろう。頑張りすぎたら辛いだけ。

頑張らないように、頑張れ自分。

あなたの中に、私はいますか?

私は確実に存在してるのだと思う。私の行動で何かが変わる。私の言葉で何かが変わる。確実に私はこの地球上の一人の人間として生きている。だから私は存在している。存在しているのだ。そうは思うのだけれどもどうも実感がない。本当は私という人間は居ないのではないかと思う時が度々ある。だって私は私のことを客観的に見ることが出来ないし、見たことあるのは鏡の中に映る自分と、写真に移る自分と、動画に撮られた自分。全部私を表しているものであることに変わりはない。ないのだけれども、全て作り物のように思えてしまう。私という人間は本当に存在していますか?私に見えている私は腕から先と、胸元から下と、少しいたんだ髪の毛だけだ。人の目を見て、顔を見て、初めて人を認識できる。だから私はこれからも私を言う人間を認識出来ないままだろう。きっと死ぬまで、ずっと。

もし私が目の前にいたら私は友達になれないと思う。自分の好きなところなんてないし、むしろ嫌いなところしか見つからない。人のことは簡単に好きになれるのに、自分のことを愛するのはこんなにも難しいものかと思う。私は実は存在していなくて、自分で勝手に自分という存在を作り上げて人間のふりをしているだけなのではないかと思う。馬鹿みたいな考え方かもしれないけど、本当に私は生きているのか分からなくなるのだ。自分では何もわからないから、人に頼るしかないのだ。教えてください。私は生きていますか?私はそこにいますか?私は存在していますか?って。

ひとりでなにかをする。

人を引っ張っていくのが苦手だ。人について行く方が好きだし自分に合ってると思う。あれがいいこれがいいと言うことは出来てもそれ以上を求める強気な心がない。無理強いを出来るほど強くなれない。結局は相手が誰であろうと下手に出てしまう。それがいいのか悪いのかは別として。

自分で何も出来ないから人に頼ってしまう。自分を信用できないから。

結局、私は何を言いたいのだろう。

好きとか嫌いとかはっきり言えたのなら生きるのが楽になるのだろうか。好きなら好き、嫌いなら嫌い。わからないから言えない。私はこの人のことが好きなんだろうかとか、私はこの人を嫌いなのかとか、考えたところで何もわからなくて、分からない。だから、分からない。好きとか嫌いとか嫌とかいいとか分からない。きっと自分に興味が無いから。

そんななかで生きていると、好きと思うものが特別に感じる。なんでもいいって言いながら、思いながら生きていたのだから。なんでもいいがこれがいいに変わった瞬間、私はやっと呼吸ができた気がする。

自分を知って欲しいから、きっとこうして私は恥のような言葉をいとも簡単に綴るのだろう。でもしられたくないから、知られているとわかった途端なんとも言えない気持ちにもなる。結局矛盾の中を回り続けているのだ。知って欲しいと言うより、わかって欲しい。エゴの塊だ。私はこんな考え方をして生きているんです。ただなんの意味もなく悲しいわけでも苦しいわけでもない。それだけを知って欲しいのだ。