結局、私は何を言いたいのだろう。

好きとか嫌いとかはっきり言えたのなら生きるのが楽になるのだろうか。好きなら好き、嫌いなら嫌い。わからないから言えない。私はこの人のことが好きなんだろうかとか、私はこの人を嫌いなのかとか、考えたところで何もわからなくて、分からない。だから、分からない。好きとか嫌いとか嫌とかいいとか分からない。きっと自分に興味が無いから。

そんななかで生きていると、好きと思うものが特別に感じる。なんでもいいって言いながら、思いながら生きていたのだから。なんでもいいがこれがいいに変わった瞬間、私はやっと呼吸ができた気がする。

自分を知って欲しいから、きっとこうして私は恥のような言葉をいとも簡単に綴るのだろう。でもしられたくないから、知られているとわかった途端なんとも言えない気持ちにもなる。結局矛盾の中を回り続けているのだ。知って欲しいと言うより、わかって欲しい。エゴの塊だ。私はこんな考え方をして生きているんです。ただなんの意味もなく悲しいわけでも苦しいわけでもない。それだけを知って欲しいのだ。