誰かの隣にいること。

1人が決して嫌いなわけではない。1人でいる空間は、それはそれで好きである。だけど1人じゃない時間の方が好きなのだ。ただ、隣にいてほしいと思う。永遠に喋りたいわけでもない。そこにいてくれるだけでいいのだ。思ったことがあったら話しかける。何か言われたら相槌をうつ。それだけでいいのだ。

遠くへいってしまうのだ。

「どこか遠くへ行ってしまいそう」

君は確かにそう言った。きっとここではないどこかを見ていることを見透かされたのだろう。いつか来る終りを考えては今という現実から目を背けたくなったのだ。

真っ白な腕が引き止める。

「お願い、どこにも行かないで」

その言葉が重くて、振り解けるはずの華奢な腕なのに力ずくに振り解くことすら出来なくて、ただ立ち尽くすしかなかったのだ。猫っ毛のミディアムヘアから香るシャンプーが甘ったるくて、変に泣けて、僕は必死に嗚咽を噛み殺した。今が悲しくて、未来はもっと悲しくて、泣くことしか出来なかった。

メランコリーな平日の夜に。

隣の部屋の洗濯機の音で目が覚めた。深夜の3時半。あの音は別に嫌いじゃない。むしろ、楽しいとか嬉しいとか虚しいとか悲しいとか、全部まとめてぐるぐる回る。感情の変化にさえ一喜一憂し、私はまた眠りに着こうとする。

 

3年間付き合った彼のことを、私は1度も好きになれなかった。きっと彼にとってはキスをして、ハグをして、セックスをするためだけの、そんな都合のいい相手だったんだろう。別れを告げた日、私は確かに強く握られた拳で頬に痛みを与えられた。必死に化粧で隠し、惨めになっては嗚咽が出た。あなたが吸っていたタバコの臭いが脳に染み付いては涙が出た。

 

今の私は初恋のような気持ちの中で生きている。毎日にドキドキし、そのほんの一瞬にときめく。ああ、世界って思ったより綺麗なんだ。あの拘束された時間が、私の人生を殺していた。

深夜3時の洗濯機の音で怒るあなたはもう隣にいない。あれだけ怯えていた音も、今は愛おしくて嬉しくて耳をすませればすがりつくように隣の部屋へと耳を当てる。

 

 

そんな平日の、私の夜。

 

アトリエ。

彼女は油絵が得意だった。塗りたくられたキャンバスの凹凸が好きなんだと、熱っぽい表情を見せた。雨に濡れた真っ白なワンピースをタオルで叩きながら、彼女は言った。

「最高に最低な人生を最高にするには、どうしたらいいと思う?」

ミルクティー色の猫っ毛がふわりとこちらを向く。胸がざわついて仕方がない。真っ白な肌も、華奢な体も、大きな瞳も、色っぽい唇も、全てが私を動揺させた。

「キスしてみればいいと思う」

思わず口に出せば、彼女は意地悪そうに笑った。

「してみる?」

ほんのりと色づいた唇は私の唇を簡単に奪った。思わず目を逸らしてしまうほどの一瞬の出来事に、心拍数は数えられないくらいの速度をみせた。

私の頬をそっと触る彼女の髪は、雨で滴っていた。

 

あの凹凸が好きなんだと、彼女は言った。油の匂いが染み付いた木製の床が、ギシギシとなった。

 

否定の権利。

私の生き方は明らかに普通では無い。そもそも普通が何か分からないのに、今ある全てを否定されるなんてたまったものではない。私は最低な人生を、最低な自分という存在で生きているのだ。今更最高になんてなれやしない。最高どころか普通にだってなれないのだ。

別に納得してほしいなんて思ってないしこんな人がいるのかと、それだけでいいのだ。だけど否定されるのだ。全部を受け止められるなんてあるわけが無い。それは普通のことなのだ。しかし、何かを否定される度に、存在していることを否定された気になるのだ。今、ここにいることを否定された気になるのだ。顔も、名前も、生き方も、考え方も、すべて。だって私はそうやって生きてきたのだから。否定というのはいつだって怖いものだ。

拝啓、ひとりぼっちの君へ

 

はじめまして

この手紙を読んでくれてありがとう。

息をするのは難しいことです。

いきるって、息をするってことですよね?

僕にとっては苦しくて仕方がないです。

酸素とか二酸化炭素とか僕には興味が無いし

そんな理論的なものなんて求めてません。

ただ、前を向いて歩くこととか

好きな服を自分で選ぶこととか

知らない人の隣の席に座ることとか

多分、そういうことが呼吸だと思うんです。

普通無意識にするような事だと思うんです。

でも僕には無意識にできません。

不器用なんです、僕って。

大きく息を吸って、

必死に顔を上げて、

めいいっぱいの空気を体内に一気に流し込む。

それではじめて息ができるんです。

...僕の話ばかりつまらないですよね?

お返事、待っています。

 

 

 

 

透明な息をする。

きっと、理由なんて明確でした。

 

私の生きる世界も考えていることも全部が私のものなのです。だからね、私にしか結局は分からないのです。

 

 

ずっしりと思いカバンの中にはたくさんの言葉が詰まっている。でもそれは誰かのためではなく私のためのものでした。私が好きなものは私だけが好きなものでした。向いてないのです、きっと。

元々存在している言葉を紡いで何かを作りだし、あたかも自分のもののように抱きしめるのです。苦しいくらいに抱きしめて、声を上げながら泣くしかできないのです。

 

考えているだけで、それを形にするのが苦手でした。形にしてしまえば触れられてしまうからです。触れられてしまえば壊れてしまう。ガラス張りの透明なケースに入れられて、大事に大事に保管されて、それでやっと私は息ができるのです。"近寄らないで"とは言わんばかりの、見えない壁があるのです。