勉強をしたくない私の話。

誰かと比べられる度に私は惨めな気持ちになる。それは私が秀でた人間じゃないからであって誰のせいでもない。まぎれもなく、私のせいなのだ。才能がある人が羨ましくて、何も無い私は周りを羨んでは涙が出た。

「お姉ちゃんは出来るのにあんたは」

母は口癖のようにそう口にする。私の姉は、頭が良くて絵が上手で優しくて可愛い。私には無いものを持ってる。だから私は姉が羨ましいと思うし、同時に尊敬している。何より姉は頑張れるのだ。努力ができる。だから勉強が出来るし絵が描ける。すべて昔からの積み重ねだ。

私は勉強が嫌いだ。昔は嫌じゃなかったし知らないことを知るのが楽しかった。

「2歳であんたは文字を読んだ」

と親に言われるので本当に物心が着くまでは学ぶことに積極的だったのだろう。けれど年齢が上がるにつれて"勉強をしなくてはいけない"という状況になってからは私は勉強をしろと言われるのが億劫になった。物事を強要されることが嫌だったんじゃない。勉強ができる周りの人と比べられるのがたまらなく苦痛だった。テストの度に

「○○ちゃんは何点だったの?」

と聞いてくる親に嫌気がさした。私は私だ。どうしていつも周りと比べるのと一人で泣いた日は数えきれないほどにある。テストだけじゃなくて成績表も同じ。私は何度も言うが勉強が得意ではない。と言っても、全くできないわけではなかったし、それにそれこそ客観的に見てみるとクラスや学年でも割といい方だったんだろうとは思う。それでもそれ以上に私が仲のいい友達はみんな成績がよかった。

何より姉の通知表は全てが◎だった。私みたいに○が所々にある通知表とは違った。だから親は私の通知表を見て、また姉と比べた。そしてまた勉強が嫌いになった。

 

中学生にもなると順位も出るから苦痛で仕方がない。通い始めた厳しい塾ではダントツで私は頭が悪かった。英単語が覚えられなくて何度も居残りをさせられた。死ぬほど怒られた。塾長は死ぬほど怖かった。それでも私は泣きながら3年間その塾に通った。辞めたいと言えなかった。毎日吐きそうな自分を誤魔化すような気持ちで電車に乗った。塾に通うストレスで10キロ太った。放課後が近づくとまた吐き気が酷くなった。毎日のように5、6時間目の授業中にトイレに行っては、今にも吐きそうな倒れそうな自分と戦っては惨めになって嗚咽と涙が溢れた。

1度だけ、親に塾をやめたいと言ったことがある。もちろん、言っても辞めさせてはくれなかった。多分高校2年の冬くらいだったと思う。酷く怒られて何度も頭を叩かれた。床に倒されてまた何度も殴られた。流石にグーで頭を殴るのはやめて欲しかった。そこまでされたら辞めたいなんて二度と言えなかった。言えるわけがなかった。きっと親は私がただ勉強をしたくないから塾を辞めたいと言ったと思ったんだろう。勉強をしたくないのは山々だったのが間違いなかったけど、なんでそこまで私が勉強をしたくないのかを親は知るはずもなかった。その頃にはもう、勉強をする私にしか興味が無いんだろうとか私の成績にしか興味が無いんだろうとか、そんな皮肉な考えしか出来なくなっていた。

 

第1志望の高校に私は落ちた。両親も叔父もおばも姉も通った偏差値64の進学校だ。正直私はそこに行きたくなかった。私立の高校に行きたかった。それを伝えた時もまた私は親に殴られた。だから行きたくもない高校の受験をした。そして落ちた。正直ホッとした。だけど周りはそれを許さなかった。結果を知った祖母は

「何かの間違いよ、ちゃんと番号はあるはず」

と私を惨めな気持ちにさせた。

すぐに、塾長にも電話をかけた。

「お世話になりました。ありがとうございました」

と言うと、

「でんつうなら絶対に受かるってみんなで話してた」

と言われた。そのたった一言が、開放されたはずの気持ちに重くのしかかった。そしてごめんなさいと言いながら私は受話器越しにまた泣いた。塾長も泣いていた。上の文だけを読んでいると塾長は怖いやばい人のように聞こえるかもしれないけど、塾長はとても厳しいだけで、優しい人だったことも私は知っている。私を本気で応援してくれたから、その言葉が私には重かったのだ。

 

そんなほっとしたのもつかの間。家に帰ってきた母から、

「大学受験では推薦をとっていい大学に行こうね」

と言われた。次に進もうと高校では私なりに頑張ろうと、自分の中ではもう振り切っていたのに、その言葉が私を振り出しに戻した。いい大学って何?なんで私が行く大学をあなたが決めるの?そして追い打ちをかけるように、

「あんたは高校受験を失敗したんだから大学受験で見返しなさい」

と言われた。忘れられない。私はその一言がきっかけで、勉強をやめた。絶対に勉強してやるもんかと決めた。馬鹿馬鹿しいことは自分でもわかってるし言い訳と言われたらそうかもしれない。それでも何かがプツンときれた。そしてそのまま高校に入学した。

高校は行きたかった私立の高校。ずっと着たかった制服が嬉しかった。新しい校舎も、14クラスある大きな組織も全てが新鮮だった。クラスは合格していた特別進学科だった。当然周りはみんな頭がよかった。最初の面談の時、担任の先生に大学はどこに行きたいのと言われた。私はずっとやってみたかった映像系の学校に行きたいと言った。すると先生は

「そんなことサークルでやりなさい。早稲田の放送サークルなんていいよ」

と言った。あぁ、ダメだと思った。そういうことじゃない。したくもない勉強をして息抜き程度に学びたいことにふれるなんて何も変わらない。当時、ずっと入りたいと言っていた放送部への入部も、勉強をしないといけないからと親からの許しが出なかった。やりたいことも全て許されないなんて耐えられるわけがなかった。私は勉強をしないことを改めて決めた。勉強出来たら偏差値の高い大学に入れられる。なら成績なんていらない。馬鹿にされても苦労してもいい。そうでもしないと得られないならそこまで自分を苦しめてやると思った。私はそれほどまでに自分勝手な考えの人間なのだ。

結局先生からは問題児と言われ親からも呆れられ一周まわって開き直った。反対され続けたけど最終的には自由な環境の芸大行かせてもらった。確かに親不孝だという自覚はあるが後悔はしていない。あのまま親や先生の言いなりになっていたら私は一生反抗期を貫いていただろう。

今も勉強は嫌いだ。だからしない。知りたいことだけ調べることにした。そっちの方が私には生きやすい。知らないことが多すぎて困ることは山ほどあるけどその都度学ぼうと思う。なんでも知ってる人の方が人生楽しそうだと思うけど私はこれでいい。今日も私はみすぼらしく馬鹿にされながら生きていく。